訪問医療マッサージ事業への参入 私のヒストリーNo.2
2015年11月17日 最愛の父が亡くなりました。誤嚥性肺炎でした。
実は、10月に誤嚥性肺炎になり、1か月入院をしました。私もできる限り、特に母の不在の時は1週間、毎日父の入院先へ行き、夕飯を食べさせる介助を行いました。病院食は、施設の食事よりも見た目も美味しそうで、父もほとんど、残さず食べておりました。食後は、スポンジで口の中をキレイにしておりました。父は、インプラントで歯を治療してあり、入れ歯ではないため、外して掃除することが出来ません。そのため、スポンジ式の口腔ケアをしておりました。
父の髭剃りも行いました。歩かずにベッドにいると下肢の筋肉が衰えるので、歩行訓練も行いました。そうして、10月下旬に退院できるまで回復しましたが、退院の際医師に、「次にまた誤嚥性肺炎を起こしたら、今度は命に係わると覚悟してください」と言われました。
そして、その後たった2週間で、父は再度、誤嚥性肺炎を再発し、そして、帰らぬ人となりました。
1月の後縦靭帯骨化症の時、「手術をしなかったら、寝たきりになり、そうすると全身の機能が低下するので、半年から1年でしょう」と医師から言われました。
手術をしましたが、結果的に1年以内に亡くなってしまいました。
認知症があっても、身体的に健康だと思っていた父ですから、1年足らずの展開に、正直驚いたのと同時に、年齢を重ね、終焉を迎えるとは、身体的機能があっという間に落ちて亡くなるのだ、と実感致しました。
亡くなってすぐは、肺炎で苦しそうに呼吸をしていた父の姿から、(私たちは気管切開を望みませんでした)命尽きたことは苦しみからの解放となり天命と納得しておりました。それは今も変わりません。
しかし、マッサージやリハビリなどをもう少し受けさせてあげることが出来れば、との思いは心の隅に残ったままになっておりました。
そんな時、KEiROW事業をしったのです。
私は、「あ、これだ!父に受けさせてあげたかったのは!」と心から思いました。
たとえ、残りの時間が同じ時間だとしても、動かしずらかった右下肢が動きやすくなり、車いすに座らせっぱなしの生活から、活動域を少し広げてあげられたら、父の生活の質は向上したのではないでしょうか。
私のミッションは、誰しもが迎える終焉まで、少しでも高齢の方がより良い生活を送れるように、痛みから解放され、動かせる範囲が広がり、笑顔が増える事をサポートしていきたいと思います。
常陸大宮、常陸太田、城里町、那珂市が事業範囲となりますが、どうぞ、皆さま、お父様、お母さま、ご兄弟の方で訪問マッサージを受けた方が、その方の生活がよりよくなる、と思われるとき、遠慮なくご連絡をお願いいたします。
無料体験がございます。また、私はカウンセラーでもあります。利用者様、ご家族様のお悩みを傾聴させて頂きます。
始まったばかりの事業ですが、地域に定着するように頑張ってまいります。宜しくお願い申し上げます。